思いだしたくもない大事件
「自分と縁のある占い」というものについて、幽木的に思うことを実例とともに書いていこうと思う企画の続編。
ちなみに初回の記事はこちらでご覧いただける。
自分の人生を振りかえったとき、どうしても避けて通れない「思いだしたくもない大事件」。
それを、その占いがズバリ示しているかどうか、が私の場合は決め手になると前回の記事で書いた。
そして、では私にとっての「思いだしたくもない大事件」とはなにかと考え、振りかえってみると、まあ、これがまた焼け野のような人生だ笑。
地雷を踏んでできた巨大な穴や思い出の残骸があちらにもこちらにも転がり、黒焦げの残骸からはいまだに黒い煙があがっている。
まさに「ひとり敗戦国」のような惨状。
だが、そんな中でもトップに位置する大事件と言えば、やはり今から40年ほど前、突然私の肉体をむしばんだ思いがけない病魔の襲来であろう。
晴天のクリスマス、幽木の人生は暗転
忘れようとしても忘れられない、その年のクリスマス。
私の身体はいきなり麻痺しはじめた。
嘘のような本当の話。
本当に、いきなり麻痺が始まったのだ。
と言っても、前兆がなかったわけではない。
思い返せば、たしかにあった。
学生だった私はひどい風邪を引き、それでもいろいろと忙しく動き回っていた。
そんな日々の果てに、今まで一度として経験したことのない不穏な不調が、身体のあちこちにたしかに出ていた。
だが、若さとは恐ろしい。
無知とは、と言いかえてもいいだろう。
「じきによくなるだろう」と軽い気持ちで考え、私は休もうとしなかった。
その結果、サンタクロースはとんでもない贈りものを私にくれた。
両親の肩を借りて、病院にかつぎこまれた。
車椅子に座れたときのラクになれた気持ちを、いまだに私は忘れていない。
そして、その日から1年半。
絶望だけが茶飲み仲間の入院生活は続いた。
それは「納音」の年だった
そんな私の「その年」は、算命学で見るとどんなものだったか。
私の命式などまではここでは出さないし、後天運も同様だが(お許しあれ)、その年、私の運勢にはたしかに「納音(なっちん)」が出ていた。
天干が同じ(たとえば「丙」なら「丙」)で、地支が「冲動(たとえば「子」と「午」とか)になる状態。
大運と年運の納音なら「外納音」と呼ばれる。
「納音」の意味合いは、ズバリ、人生が180度変わるようななにかが起きる。
算命学を勉強し、発病した年の自分の運勢に「納音」が出ていたことに気づいたときの戦慄は、言葉では言いあらわせない。
私がことあるごとに「納音は恐ろしいですよ」と言っているのは、「経験者は語る」なのである。
しかも、ことはこれだけでは終わらない。
発病した月の月運干支も加えてみると、月運も「納音」を発生させていた。つまり、
納音 × 納音
人生が180度変わりかねない危険な年の、ある意味、もっとも危険な月に、私はその後の人生を一変させた、超弩級の青天の霹靂に襲いかかられたのである。